November 30, 2012

ADHDやLDになるのは好みの叱られ方でしか云うことを聞かなくていい

ADHDやLDになるのは、好みの叱られ方でしか云うことを聞かなくていいって
無意識で教えていないだろうか?

「大きな声で怒鳴る人は人格者ではないので、話を聞かなくてもいい?」

私の個人的な見解なので、異論もあると想いますが、
誤解を恐れずに話したいと想います。

最近、よく想うのですが、
部活で顧問が大きな声で怒鳴るように、
「こら、そのプレー、たるんどる!!!」

などと、怒った時、どうも、
「また、大きい声で怒鳴ってる。」
「もっと違う言い方ないのかよ。」

みたいな態度が見受けられることがある。


大人が子供に叱っている時、
それを観ている他の大人たちも、その怒っている人をそのように非難しているのを見受ける。

また、叱られている子供たちにも、そんな態度が見受けられる。
「そんな言い方しても聞くもんか?」
「聞いてほしかったら、いうこと聞かせたかったら、もっと違う言い方しろ!!!」
って、影で言っていたり、そのような目つきや態度が見受けられる。

注意の仕方が、自分の好みの注意のされ方じゃなければ、云うことを聞かない。
って、こと多くない?
それって、よくできた人格者である大人(親・上司・先生など)なら、
そういう私にあった注意の仕方をするのが当たり前。
怒鳴って叱るなんて、そんな注意の仕方で、私が素直に聞くと想っているの?

って、いう感じがしてならない。


私は、理不尽なこともあるかもしれないけど、
なんらかの自分の行動、言動が相手が怒鳴りたくなるような結果を生んだと想っている。
ので、
まず、私の何が、不機嫌にさせたのだろう・・・。って
振り返ることからはじめている。

私は、少なくとも、叱られた時には、そう想って、今まで生きてきた。
そうやって、学んできたと想っている。
私は、怒鳴るほうが悪いってならないんだけどなぁ。
怒鳴られたら、めちゃくちゃ嫌だけどね。
怒鳴る時って、よっぽどのことがないと人はしないと私は考えている。
これって、どうも私だけ特別のようなのです。

私は、何があるにしろ、
相手の感情に触れる行動や言動をしたのは
自分の何かしらの行動や言動だと想っている。
それに気づいていたら、元々しないはずで、
自分にとっては普通の表現や行動が、
相手にとっては、違うメッセージになることも多い。
相手がただ、機嫌が悪かっただけかもしれないときもあるかもしれない。
それでも、その相手が機嫌が悪い状態にあることに気を配れなかった自分の行動をまず省みる様にしている。


怒る、叱るのには、人格者として、相手に合わせた叱り方をしなければいけない。
それができないような人は叱る資格はない。
それができないような人のいうことは、聞かなくていい。って
無意識で子供に教えていないだろうか?
無意識で想っていないだろうか?
この叱られ方だったら、素直に聞くけれども、
そんな言い方では、私の方が悪くても、聞く気にならない。

これが、ADHD、やアスベルガー、LD、などの症状と関係するように感じています。
ちゃんと、自分の好みの言い方でしか、いうことを素直に受け入れない。 好みの物事にしか、注意を向けない。 あとは、知らんぷり!? 注意欠損って、こんな在り方から 始まるのではないだろうか?
育て方、叱り方が大事。
それを間違ったら、子育て失格、みたいなのも•••。 人格者として相手に合わせた叱り方をしなければならない。

そんな人格者ってどれだけいるのだろうか?

普通の人間でいいのではないだろうか?
もっと、単純に、相手が怒鳴って怒ることにはなにかがあった。
クレーマーと呼ばれる方にも何かがあったのです。
その何か、こちら側にあったという、
自分自身の行動や言動をちゃんと省みる姿勢が必要なのだと想っています。


私は、こんな考え方の元、
身体のゆがみから手相や風水などともに、コンサルティング、カウンセリングさせていただいています。

問い合わせは、
メディカルケアウォークの問い合わせ、もしくは、直接、お電話ください。
施術場所は、大阪 中津 
なかがわ整骨院、もしくは、出張(全国)にてお受けいたします。

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